池田龍雄  Tatsuo Ikeda
2005.1.11(月)−1.29(土)


プロフィール
1928年佐賀県生まれ。1948年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)入学。
まもなく岡本太郎、花田清輝、安部公房らのアヴァンギャルド芸術運動に参加。
以来、文学や映画など、多くのジャンルと深く交わりながら、
一貫して美術の前衛として今日まで活動し続ける。

1954年 養清堂画廊にて初個展。
以後国内外での個展・グループ展多数。
近年の主な展覧会に、
1982年「瀧口修造と戦後美術」富山県立近代美術館(富山)
1985年「池田龍雄の世界展」池田20世紀美術館(静岡)
     「再構成・日本の前衛1945-65」オックスフォード近代美術館(イギリス)
1986年「前衛美術の日本1910-1970」ポンピドーセンター(パリ)
1988年「走図展」INAXギャラリー(東京)
1992年「日本の現代美術1945-1985」東京都美術館(東京)
1995年「戦後文化の軌跡1945-1995」目黒区美術館(東京)
1997年「ねりまの美術 97 池田龍雄・中村宏」練馬区立美術館(東京)
1998年「瀧口修造とその周辺」国立国際美術館(大阪)
2000年「万歳七唱 岡本太郎の鬼子たち」川崎市岡本太郎美術館(神奈川)
2001年 第21回 オマージュ瀧口修造展 「漂着」佐谷画廊(東京)
2005年「瀧口修造 夢の漂流物」世田谷美術館(東京)
2009年「場の位相」ギャラリーM(愛知)
1987・88・91・93・96・97・99・01・04年 ギャルリー東京ユマニテ(東京)
1991・96・98・99・00・04・07年 ギャラリーとわーる(福岡)
2005・06・07・08年 ギャラリー58(東京) 他

<パブリックコレクション>
東京国立近代美術館・東京都現代美術館・世田谷美術館・練馬区立美術館・山梨県立美術館・
富山県立近代美術館・佐賀県立美術館・国立国際美術館・広島市現代美術館・熊本市現代美術館・
栃木県立美術館・名古屋市美術館・福岡市美術館ほか多数

著書に『芸術アヴァンギャルドの背中』(沖積舎)、
『絵画の距離』(創樹社)、『夢・幻・記』(現代企画室)、『蜻蛉の夢』(海鳥社)など。


「時空遊泳 ASARAT計画から梵天の塔まで」
 〜資料展示とパフォーマンス〜



◆ASARAT計画
その行為は1972年1月から12月にかけて行われた。瀧口修造氏宅に実ったオリーヴの実(Noah's Olive)81粒が、浅間山を囲む標高1000〜2000メートル、総長35キロメートルの達磨型線上に播種された。ASARATとは、ASAMAとARARATの合成語である。ASAMAとは浅間山、ARARATとはノアの方舟が漂着したというトルコのアララット山。地球の吹き出物である火の山に、緑色の小円体が綴る一本の念珠を投げかける。播種立会人:谷川晃一・武満徹・中西夏之・宮迫千鶴・ヨシダヨシエ 他

瀧口修造氏宅に
実ったオリーヴの実
「Noah's Olive」
浅間山を中心に
播かれた
オリーヴの軌跡

オリーヴの瓶を持つ
武満徹氏

◆梵天の塔
梵天(BRAHMAN)が宇宙を創造したときに創った「梵天の塔」がインドにあるという。台座の上に3本の棒が立ち、その1本に大きさの異なる64枚の輪が円錐状にはめ込まれている。その輪を他の棒に移すときに次の規則を守らなくてはならない。それは輪を動かすのは1度に1枚だけ、そして小さい輪の上に大きい輪を乗せてはいけないということ。その輪を掟通りに移動して完了するには、不眠不休で1秒に1枚移すとしても、ざっと5840億年はかかってしまう。最後の1枚を移し終えたとき、世界は終末を迎えるという。1973年より「梵天の塔」に時を彫り続けている池田龍雄の軌跡を辿る。 


梵天の塔 パフォーマンス


読売新聞 2005年1月19日(水)


朝日新聞 2005年1月17日(月)



毎日新聞 2005年1月27日(木)

美術手帖 2005年 5月号